色即是空、空即是色・・・なんですね・・・ | ネオ・ビジョンかわら板

色即是空、空即是色・・・なんですね・・・

般若心教


いわずと知れた、膨大な仏陀の思想を、262文字に要約・凝縮した(実は『大般若信教」と呼ばれる全600巻もの膨大な教典が元)、最も有名な仏教経典ですね。


ぜんぜん熱心な仏教徒でない無宗教な自分ですが、実は、この般若心教をそらで読むことができます。

ちょっと自慢できる特技?かな。


ところで、この2月末・3月頭の2週間に、自分は、祖母と大学時代の先輩の、2人の死を体験してしまいました。その連続した訃報に、能天気な自分も、生や死について考えることが多くなり、ちょっとしんどいなぁ、と思っていたそのとき、なんだか、あ、そういうことかな、とこの般若心教の意味、みたいなもんがぼんやり浮かんでしまいました。それで、ここに記しておきます。


自分が子供の頃の話。実家の裏にある禅寺に、自分の祖母が住込みで奉公していて、おばぁちゃん子だった自分は、よく遊びに行っていました。そこで、遊びに行くたび、信心深い祖母からお経を読まされたり、写経をやらされたりしていた関係で、今でもそらで読めるくらいに般若心教を覚えています。


当時の子供の自分は、なんだか面倒くさいなぁ、と、きっと感じていたでしょうけど、それでもお経を読む自分を喜んでくれる祖母のために、毎日のようにそれを唱えていました。


大正15年生まれの祖母は、とにかく苦労した人で、20歳で結婚し、5人の子供の出産。そして25歳の時に、夫を無くし、それから「百姓」をやりながら、5人の子供を立派に育て上げた人。


そして、その苦労話を、自分は祖母から何度も何度も聞かされていて、普通はそういう話は子供であっても、あーまたか、と思うような繰り返しの話だったし、いまいちそういう時代へのリアリティーもないし、なはずなんですが、自分はその話を聞くのが、なんだか好きだったんですね。


「ほんと大変だったけんね、おとうさんな先死になさって、わたしゃ、背中に浩二(末っ子の名前、ね)ば、しょって、4人の子供の手ばかかえて、一人で畑耕して、必死にたい、5人の子供ば育て上げたったい、いや死ぬ思いばして、5人立派に育て上げたったい」


そういう苦労話を、遊びに行くたび、聞かされていました。


もう耳にタコが出来るくらい聞かされた、その話。でもその話をするときの祖母の顔が・・・

それは、もう満面の笑顔で、なんだか突き抜けたような明るさで苦労話を語るとですよ。


なんだか、ほんとに、楽しそうに、自分がしてきた苦労は、もはやいい思い出以外のなにものでもない、というくらい、明るく語るとです。

もう、まいっやうなぁ・・・そんなことを、感じるような祖母の笑顔だったとです。



その祖母の死を前にして・・・


今思うことは、自分は、その笑顔が、ほんと大好きだったんだな、と。

そして、自分は、たぶん、あんな笑顔を見せれるじいさんにゃなれそうにもないな、と、今さらながら思祖母の死を前に、いろいろ感じてしまって、久しぶりに号泣してしまいました。


訳あって7年も帰省してなかった自分が、死に目どころか、祖母の体が、いつのまにかこんなに小さくなっていたんだな、ということさえ知らなかった事も含め、後悔やら、悲しみやらの思いが溢れて。少々参ってしまいました。


ただ祖母の死は、孫・ひ孫にも囲まれての大往生。家族思いの、というより家族のためにだけ生きてきたような祖母にとって、それは、本当に幸せなお葬式でした。だって、まだ幼児のようなひ孫たちも、お坊さんの読教にあわせ、般若心教を読んでいたんだから。たぶん、また祖母に、ちょっと嫌がられながらも、お経を教えれれていたんでしょうね。で、その姿は、自分の子供の頃の姿と重なってしまい、今度はちょっと嬉し泣きまでしてしまいました。


親不孝で、婆不幸な自分も、心からの冥福を祈っています。おばぁ!



そういう祖母の死から1週間後、今度は大学時代の1つ上の先輩が、癌で亡くなってしまいました。

まだ40才。死、へのリアリティなんて皆無な自分とひとつしか違わない、早すぎる死、です。


彼女は、大学時代の先輩で、独特の存在感を放つ、はっきり言って、かなりの美しい女性でした。演劇部に所属し、フランス文学を専攻。昔で言う暗黒舞踏風の踊りもこなしていた人で、田舎から上京したての自分には、かなりの衝撃を与えてくれた先輩でした。自分はその美しさに魅かれ、思わず、彼女主演の映像作品も作ってしまうほど、惹かれていたのでした。


卒業後も、大手出版社で勤務しながら、文藝賞で作家としてもデビュー。その後自ら出版系の会社を立ち上げ、ばりばり仕事も出来る才女でした。


卒業後は、まめに交流していたわけではないけど、仕事をいただいたり、自分の作品もいくつか見てもらえて、それについてうれしい感想をもらったりするたび、「わーい」、と思わず舞い上がったりするくらいの関係?は続いていました。


自分にとっては、卒業後15年以上過ぎた今も、憧れの女性。


そのポジションは今でも、変わりなく。


その女性が、1年間の闘病生活の末、死んだ。


実は、今年は、学生時代に自分が立ち上げた映像サークルが20周年を迎え、その記念イベントを期に、久しぶりに再会できるなぁ、と密かに喜んでいた矢先だっただけに・・・つらい。


でも、なんだかその実感がわかない。葬式に参列できず、彼女の死に顔を見ていないから、なんでしょうか。よく言われることですが、お葬式は、生者のために行われるもので、死者を見つめる時間を持つことで、別れを実感できるよう行われるもの、なんでしょうね。祖母のお葬式では、冷たくなった祖母に、死に化粧の手伝いが出来たし、お棺を自ら運ぶことも出来た。悲しいけど、別れの儀式としては、ほんとにいい別れ方ができたものでした。


ただ彼女の死に関しては、そういう時間は持てなかった。せいぜい若い頃の彼女をビデオに収めた、自分のしょぼい作品を見直すくらいしかできません。


この世界に、一人の女性がいなくなった。それは自分が実感できようができまいが、動かせない、既定事実のひとつ。そして、その事実を感じ、消化することのできるようになったきっかけが、実は今回、昔覚えた、「般若心教」でした。


形あるものは、すべて消えてなくなるもの。彼女は少々早すぎたけれど、自分も、大切なあの人も、いつかは消えてなくなるもの。それは、動かしようのない既定事実。


たぶんそれが、「色即是空」。


そして消えてなくなるものは、どこかでめぐりめぐって、新しい形を生む。

彼女の両親や、より親しい友人たちが、涙を流すこと。悲しみを抱えて生きていくことになること。乗り越えようという新たな意志が生まれること。そして、自分がこうした駄文の追悼文を書くこと。それらは、すべて死によって生み出される、新しい、カタチ。


それが、つまり、「空即是色」。


有(色)は無(空)となり、無は有を生み出す、その永遠続いていく輪廻。

死はなにも恐れるものでなく、無駄に終わるものでもない。ただそれだけの真実。


般若心教の解釈について、おそらくいろんな読み方があるだろうけど、これまでの自分は、マクロ的なものやミクロ的なものを体言しているような科学性やスケール感があるよなぁ、と漠然とかっこいいもん、と感じていたわけですが・・・たぶん、今は、ある力強い救済のための真理、と感じることができたような気がしています。


一昔前にオザケンが歌っていました。


「神様を信じる強さを僕に」


こういうことを感じるために、宗教は存在するのですね。


40年近く生きてきて、初めて宗教の価値を感じた気がします。



別に、そこから宗教に目覚めることもないだろうけど、少しだけ強くなるきっかけには、十分すぎる力がありました。


すげーなぁ。般若心教、です。