うれしいお話③・・「そこに在る壁」霧笛舎 舞踏公演にて | ネオ・ビジョンかわら板

うれしいお話③・・「そこに在る壁」霧笛舎 舞踏公演にて

さて、続けてうれしい話。



壁
The Wall---Mutekisha Dance Company
2006年12月16日(土)開演19:00
      12月17日(日)開演14:00/18:00

料金:前売2,000円/当日日2,300円
出演:イシバシヒデオ、井綱えり
川島栄作、大森彩子、岡本友紀
音響・照明:曽我 傑
舞台監督:大原猛司
産婆役:中嶋 夏
会場:テルプシコール

という、大学の後輩ダンサー・エリさんが出演する舞踏公演を観に行きました。

そして、公演終了後、なんだか、とても感動いたしました、というか、自分の中で腑に落ちたことがあり、それがたまらなくうれしかったので、それについて記します。



この霧笛舎は、土方巽、大野一雄に師事した、中島夏さんという方が主宰する舞踏団。

自分は直接公演を拝見したことはありません。


今回の公演は、その後輩エリさんはじめとする舞踏団の若手が主体となって開催したものです。


自分は以前、この中島夏さんと同じ土方巽直径で、舞踏団を組織されている和栗由紀夫さん(大橋氏の直接の師匠)という方の舞踏公演を何度か撮影したこともあり、少なからず舞踏について、多少の「知識」はあったつもりなのですが、ここしばらくは、こうした「舞踏」らしい舞踏公演とはご無沙汰でした。


最近ではその「舞踏」自体に、正直、強い興味もなくなっていたし、この日は、後輩がどれくらいがんばっているのかな、という感じでつきあい気分で観に行ったのがほんとのところでした。


でも、なんでしょうね。最後はほろり、と涙さえでちまいました。不思議です。



たぶん、公演の内容は、たぶん、それほど新しい試みに挑戦しているものではないと思う(失礼ですね・・)。


シンプルに、土方巽や大野一雄が、切り開いてきたものや、テーマの踏襲であったのではないか、と。



以下公演案内より。



壁に埋まった5つの身体が

おのおのの「窓」を探して

夏から秋への舞踏行です

(蝉も啼きます、カラスも舞います、蛾も飛びます、そして鈴虫も・・・)



公演の内容も、シンプルに言えば、その案内通り。


ステージ上の壁に、5つの仕切られたドアがあり、そこから生まれでた5つの身体が、蝉になり、カラスになり、蛾になり・・そしてそのたどり着く、先は・・?


そんな物語でしょうか。


蛾やカラス、鈴虫など、人ではない生き物を模した身体が、そのまま、人ではない、身体=肉・骨の動きをしていく様を描きながら、進行していく舞台です。


よく見慣れた(自分は、です)舞踏の作法に基づく、それらの動き。たぶん、そのベクトルは、大地。

地を這う、獣や虫。機械的なものから、身体性への回帰。そんなメッセージを含んだ、舞踏らしい舞踏。


それらの舞踏の動きは、人としての日常からすれば、すごく「不自然」な動き。

たぶん、舞踏を見たことのない人からすれば、かなり異様な光景と映るはずの、不気味な身体(そういえば「貞子」やらに代表されるホラー映画に、最近舞踏的な動きは、引用されちている気がしますね)。



ただこの日の自分は、それらありえないはずの不恰好なカタチが、「イキモノ」、として、すごく自然な動きであり、「営み」であると、舞台が進行していくにつれ、腑に落ちていったのです。


何を言っているかわからないと思う人も多いと思いますが、要するに、人は、「人」という独立したイキモノではないということ。あらゆるイキモノがいる中の、自然の中でしか存在しえない「イキモノ」の中の、一部である。そんな当たり前のことが、腑に落ちた、ということです。



たぶん、舞踏の鑑賞体験が何度もある自分が、いまさら、な、当たり前の感想を言っているな、というのも承知。


ただ、先に記した、遺伝子組み換え食物のお話 やらを考えていくうち、なんでこんなに「人」って、傲慢で不自然なイキモノなんだろう、とか漠然と感じていたわけで・・・


そういう気持ちが、見慣れた「舞踏」の動きに、新たな発見をさせてくれるたきっかけになったのは、本当に間違いない事実。蝉やカラス、鈴虫の動きを、人が模していく行為。それは、すごくシンプルに、人が「イキモノ」である、ことを逆説的に伝えてくれたのでした。


公演のラストシーン。エリさんが、他のイキモノから、少し「人」らしい動きへ。そして、ステージの床に、チョークで人型を描き、そこに静かに埋まり、眠る・・・


とても象徴的なラストシーンでした。



そして同時に思い出されたのが・・


今年9月に、井の頭公園の林の中で行われた、同じく土方巽の流れを汲む舞踏家・田中民さんの公演でのお話。仕事で少しだけお話したのですが、その際に、田中さんがぶっきっらぼうに発した、公演の意図に関する言葉・・・


「生まれたときから、アスファルトの上で暮らしていると、この世界が地面で出来てること忘れるでしょ?だから、こういう林の中で、公演やってんだよ」


その言葉も合わせて、舞踏という行為が意図する、根本的な部分。それを自分は、理解ではなく、「腑」に落ちた、と感じることができました(あくまで自分の感じたことですので、専門的なことは置いといて下さいね)。


それが、なんだか、うれしかった・・・そんな公演でした。ほんと、エリさん、どうもありがとうございます!

また、エリさんの身体、すごく「イキモノ」として綺麗でしたよ。惚れましたよ。うん。



あと、たぶん、今回の芝居が腑に落ちたのは、その前に「イキモノ」について、真剣に考えた瞬間があったから、だというのは間違いないです。で、いろいろと、世の中の現象に、馬鹿な頭で想いをめぐらすの決して無駄でななく、こうした芸術表現を感じとるためにも必要だったんだな、としみじみ。なんだか、いいな、こういうの。



PS:エリさん。あのラスト、実はチョークの人型は、、BITOのPVでやろうとしていたことと同じなのです。もしかしたら近い表現で、映像作るかもしれないので、そのときはご容赦を。というかこれは9月にはBITOに企画書渡してるので、自分の方が先に考えたんだぞ!(笑)という自負もあり・・うれしいながらも悔しい公演でしたよ。