「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」・・・うれしいお話④ | ネオ・ビジョンかわら板

「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」・・・うれしいお話④

自分の敬愛するクリント・イーストウッド監督の両作品です。
今話題の真っ只中ですが、無事に2本とも、連続して鑑賞できました!


「ミリオンダラー~」 でおもいっきりやられちまった監督の作品だけに、相当期待して観てきました。

で、結論。

こんな世界の、こんな時代に、このタイミングで、こんな素晴らしい「戦争映画」を作ってくれた、イーストウッドに、
自分は心から感謝したくなる、そんな映画でした。そして観て、つらい映画なはずなのに、気持ちは、こんな作品が見れたことで、たまらなくうれしくなる・・


そんな両作品でした。


星条旗
「父親たちの星条旗」


硫黄島
「硫黄島からの手紙」



作品の詳細に関しては、上映中ということもあり、あまり深くは語れない、または語りたくないのですが・・
でも、自分が見た戦争映画では、間違いなくベスト3には入ります。というより、本来、戦争映画が果たすべき社会的な機能を、
これだけ満たした映画はないのでは、とも思っています。

最初に。この「星条旗」の原作の映画化権を、最初に獲得したのは、スピルバーグ率いる、ドリームワークスです。そしてスピルバーグはプロデューサーとして、監督をイーストウッドに指名しました。イーストウッドは、「星条旗」の監督をするのを引き受けるのですが、その過程で、硫黄島で戦死した日本側の中尉の話にも興味をいだき、もう1本、日本側の物語も描くべきだと主張。結果、この2本の傑作が誕生したわけです。

しかし、この傑作が誕生までの過程には、たぶん、いろんな奇跡的な偶然が影響しているのでしょうね。

それは、まず単純にスピルバーグが、自分で映画を撮らず、イーストウッドに監督を任せたこと。
彼の戦争映画の代表作・「プライベートライアン」・・戦闘シーンの迫力は、さすがスピルバーグ、、ではありましたが、内容は・・ピンボケもいいところ。戦争の悲惨さを描く?単純に兵士をを英雄として描き、結果、アメリカの正義万歳!という映画でしたね、自分にとっては。というか、彼が監督する人間ドラマは、すべてにおいて、「ゆるい」。特に、戦争映画を撮影する際の「ゆるさ」は、「真摯」さに欠けてしまうのと同義で、自分は評価できない映画でした(そのゆるさは、手抜きとかじゃないよ。もって生まれた才能の「資質」の問題)。

対して今回のイーストウッドの両作品。


戦争の勝者と敗者、その両者の立場から、「公平に描くことだけを心がけた(イーストウッド談)」映画を作ったそうですが、そのイーストウッドの深い洞察。単純にその視点だけでも、僕らは拍手を送るべきものだと思うのです。また「公平に描く」ことは、言い換えれば、リアリズムに徹する、ということ。


ここで例に出すものくだらない、「男たちの大和」。 あの戦争の「被害者」としての、大和の乗組員だけを登場させ、どっかの見えない敵(アメリカ人)の姿はまったく描かず、ドンパチ、ドンパチ、玉砕精神と被害者根性のみで、戦争の「悲劇」を描いたあの映画。あの映画を、今の時代の「日本人」が描くことに、いったい何の意味があるのか・・・


この「硫黄島~」「~星条旗」を観た後だと、なおさら許せないレベルの映画だということがわかります。



結局、「戦争の悲劇」とは、それは文字通り、戦争を「悲しきお芝居」として描くことで。そこには、当然、よくも悪くも、「ドラマ」を、「英雄」を、描こうとする、作為的な行為、が主体となるわけですね。主体があれば、そこに「公平さ」を同居させるのは難しいもの。


対して、イーストウッドが作り上げたこの2作は、「悲劇」、といったヒロイズムを拒否する「公平さ」を保とうとする、力強い意思を感じます。


たぶん、自分が見た戦争映画は、好きな作品も、嫌いな作品も、どちら側の作品でも、このヒロイスムからは抜け出せてなかったのではないだろうか、と。そのヒロイスムを脱するには、本当に強い意志と冷静な洞察力が必要になるのです。



映画の中の台詞(「~星条旗」より、「戦争に英雄はいない」


それはこの映画のテーマともいえるもので・・・言い換えれば



戦争にただの被害者だった人もいない


同じく戦争に単なる加害者だった人もいない


戦争に絶対的な「悪」もない。同じく戦争に絶対的な「正義」もない。


そして戦争には、アメリカ人が戦争映画で好んで描く、「希望」もない。


そして同じく、日本人が好んで描くような、「悲劇」もない。



あるものは・・・・あえて一言で言えば・・


「空虚さ」


ではなかろうか。


希望も悲しみも、痛みも、喜びも、すべて「空虚さ」へと転換してしまう装置が、「戦争」だと。



イーストウッドが徹底したリアリズムで描いたのは、そこに尽きる、と自分は思っています。



とまぁ、うまくいえないまま、またもやあーだこーだ、書いてしまったけど・・・結局、この2作品は、徹底したリアリズムにより、観る人によって、いかようにも解釈できる作品となっているのでしょう。


だからこそ、この作品は、うさんくさい論議がはびこる日本人にも、イラク戦争後のアメリカ人にも、見るべき映画なのです。

観て、思い思いに、何かを感じるべき映画なのです。



で、この映画は、観るものにとって、「空虚」なものになるはずもない。そう断言できる作品なのです。

ぜひ!


PS:たぶん、今後も考えてていきたい映画なので、またどこかで加筆します。今回は、整理できないままま書きなぐりましたが、

とにかく、観てほしいなと思い、ここに雑文書いておきます。「教育基本法の改正 」なんかより、こうした映画を、観た方が、いいのは間違いなしなので。



※今回は久しぶりにいろんな方々のブログを拝見してまわり、共感できる方々にトラバをお願いしてきました。自分ひとりじゃ補足できないようなたくさんの意見を、参考にしていければな、と。改めてコメントを差し上げていきたなと思っております。