ネオ・ビジョンかわら板 -3ページ目

いいことばかりはありゃしない・・RCす。

いいことばかりはありゃしない

きのうは白バイにつかまった

月光仮面が来ないのと

あの娘が電話かけてきた

金が欲しくて働いて眠るだけ


いいことばかりで笑ってりゃ

ウラメ ウラメで泣きっ面

かわいそうにあの娘にも会えないし

手紙を書くような柄じゃない

金が欲しくて 働いて眠るだけ


昔に比べりゃ金も入るし

ちょっとは幸せそうに見えるのさ

だけど忘れた頃にヘマをして

ついてないぜと苦笑い

金が欲しくて 眠るだけ


新宿駅のベンチでウトウト

吉祥寺あたりでゲロはいて

すっかり酔いも醒めちまった

涙ぐんでもはじまらねぇ


最終電車でこの街に着いた

背中丸めて 帰り道


何もかわっちゃいないことに気がついて

坂の途中で立ち止まる


金が欲しくて働いて眠るだけ


「いいことなかりはありゃしない」By RCサクセション










単なる愚痴です。それ以上でもなくそれ以下でもなく。



愛猫は春になってもまだ帰らず。


今日は、吉祥寺あたりで、バスと衝突事故。

ロケにも支障、へこみそうになりそなところを、なんとかクリア。


その後、会社に帰社後に、4月からの今後の自分の処遇に関して、不条理な条件を提示され・・・

それに関し、自分の中でも、社会的な意味でも、正論をぶつけてみる・・・

もちろん、今後の会社のあり方もその中に含め。


が、自己保身しか頭にない、くだらんやつらが組織の中枢にいる、その不条理さに負け・・・


最後には・・・「君には○○(役職)は向かないのでは・・?」


そんな捨て台詞もはかれ、終了。


なるほど。ごもっとも。最低の正論も通らない中では、自分の条理は曲げられない。

自分もそこまで青くはないですが、その程度が大人の論理であるなら、それもまたよし。


会社の同僚、直属の上司などに関しては人格的に尊敬できる方々で、やりがいも感じていた現職場。

さてどこまで戦うべきか・・・無力感と諦念。




で、結論。そういうヘビーなときには、いまだに自分は清志郎を求めてしまうわけなのですね。

久しくそれほどの挫折感は味わっていなかったけど、今無性に聞きたくなったのがこの曲。


そして、25年前から何も変わってない自分に、はからずも、失笑。

40男の正体が・・・これでいいのかい!?



「何も変わっちゃいないことに気がついて 坂の途中で立ちどまる」




はい。でも、そこからですよね。人生。


その認識を感じたときから、その後の人生で、確かに「何かを変えることの出来た」、自分の尊敬する人物のお言葉を胸に秘め、

明日から、がんばってみます。



そう簡単にはへこめませんわな。この年で。


しかし、毎度毎度感謝ですね。清志郎先生。




映画「ハリーとトント」!! 猫と老人


ハリーとトンと

74米/製作・監督・脚本=ポール・マザースキー/脚本=ジョシュ・

グリーンフェルド/撮影=マイケル・バトラー/音楽=ビル・コンティ

/出演=アート・カーニー/エレン・バースティン/ダン・ジョージ/

ジェラルディン・フィッツジェラルド/ラリー・ハグマン/フィル・ブ

ランズ/ドリー・ジョナー/ハーバート・バーゴフ/エイヴォン・ロン

グ/メラニー・メイロン/アーサー・ハニカット/サリー・K・マール

/バーバラ・ローズ






愛猫、いまだ帰らず・・・

そんな中、以前同僚が紹介してくれて、これは自分の好きなタイプの映画だと確信していた映画「ハリーとトント」を見る。


アパートを追い出された偏屈な元教師の老人ハリーが、同じく年老いた猫トントとともに、離れ離れの自分の息子・娘の元をたずねながら、バスで、車で、つれづれなる旅に出かける。途中、娼婦やヒッピーコミューンにあこがれる少女、老人ホームにいる初恋の女性など、様々な人と出会い別れながら・・そして時折、自分の人生を振り返り、愛猫に語りかけながら、自由きままな旅を続ける1人と1匹のロードムービーなお話、です。


で、やはり予想通り・・・染みました。



そりゃそうだ。

昨年中古のマイカーを手に入れたとき、まず自分の考えたことは・・愛猫キーと車で旅に出かけること・・・


この映画では、まさにそんな風景がたびたび登場するんですから。



ダッシュボードの上に、相棒・トントがちょこんと寝転ぶ中、ゆっくりと走る青いアメ車。フロントガラス越しに流れいくアメリカの風景・・・



まさに自分が夢見たドライブ。流れる風景を眺めながら、視線を少しずらしたとき、そこに愛猫が、ちょこん、とい居る幸せ・・

その風景を見れただけでも、十分幸せな気分になれる映画でした(猫にはいい迷惑でしょうが・・)。



ただ、この映画は、別に猫と人間の交流を描いたいわゆる「動物映画」、というわけではないです。

ジャンル的にはアメリカンニューシネマ、でしょうか。いや、いうなれば「ポスト・アメリカンニューシネマ」、でしょうね(そんなジャンルないすけど)。


頑固で偏屈な老人と、その家族。まっとうすぎる息子もいれば、ウーマンリブに感化し、結婚と離婚とくりかえす娘がいて、

業界人風で見栄っぱりで借金まみれの息子もいる。孫の一人は、ヨガ本やニューアカ風の本に感化され、しゃべらないという「行」をやっていたりするし、旅の途中で出会った16歳の少女は、ヒッピーコミューンを目指しているし、友人のポーランド人の老人は、資本主義批判を繰り返しているし・・


家族も出会う人々も、あのアメリカンニューシネマな当時の状況を反映させた人たち。

ただこの映画では、そういう人たちを、別に特別なものとしても、ドラマチックにも描きません。



この映画の主役は、あくまで年老いた老人と猫。彼ら若者たちの自由きままな行動を、しかるでもなく、かといって受け入れるでもなく、淡々とやさしいまなざしで、見つめる老人。そして自分の半生を振り返り、「いろいろあったが・・まぁ悪くなかったな・・・」と猫に語りかける老人。それに応えるでもなく、ただ悠然と自分の「死」を受け入れる猫が1匹・・・



つまりこの映画のテーマは・・・老人と、その相棒の老猫を通して、僕らが老いた時、または「死」を目前に控えた時、その「死」というものと、どう関わり、受け入れていくのか・・そんな現代(特に高齢化社会の日本において)にも通じるテーマを、問いかけてくる映画なんでしょう。たぶん、自分の大好きな映画、リンチの「ストレイトストーリー」とも相通じます(決して声高に、でなく淡々と、温かみのある視点でそのシリアスなテーマを描いているのも、共通していますね)。





ところで、本日18日、自分はめでたく?40になりました。人生80年とすれば、もう折り返し地点ですね。

そういう時期に、この映画を見れたのは、ここ最近いいことない自分にとって、幸運な体験だったと思っています(猫シーンも含めて、ね)。


そう。自分は「老い」について、これまでは、それに抗うことばかり考えていました。


偏屈になるな。柔軟であれ。かといってポリシーや情熱は捨てるな。

怒りを忘れるな。涙も流せ。などなど・・結局、すべてにおいて、自分は、今あるこんな自分や現状を否定し、

前に進む若さや青臭さのみを信望する・・・そうしたスタンスに、思いに、自分はとらわれていたんではないかと。

そうした時に、「老いていくこと」は、なかなか簡単には受け入れられない、抵抗していきたい「現象」なわけです・・・

ばかですねー。


んで、ニューシネマが「未来」や「老い」を否定し、先走った「死」を肯定的に捉えてきたことに対する、ある種の回答がこの映画なんでしょうね。ま、簡単にいっちゃえば・・・


「人生、そんな悪いもんじゃないよ」


そういうことを回答したポストアメリカンニューシネマがこの映画なんでしょう。自分なりの解釈ですが。


で「老い」を否定してきた自分が、40になって思うことは・・・ちょっとだけ変わり、それを、どう受け入れるか、について少しづつ考えていくことも、決して悪いことじゃないな、と。



あきらめるのではなく、受容していくこと。



それは、言い換えれば「色即是空」、な感じでしょうか(ラスト、老衰で死んだトントの生まれ変わりに出会うシーンは、泣けますよー)。



そういう思いを感じることが出来たのがこの映画「ハリーとトント」。



猫好きだけではなく、たぶん僕の世代や、さらに2007年、大量に退職なさる方々あたりに、ぜひ見てもらいたい映画かもしれません。


気になった方はぜひ。

隠れた名画ですよ。

PS:

この映画で主演のハリーを演じたアート・カーニーは75年のアカデミー主演男優賞受賞しています。トントも、アカデミー主演猫演賞ものですよ。またエンドロールの出演者の名前の中で、ラスト、一番でっかく「・・AND TONTOと表示されていたのが、かわいらしくてGOODでした!



我が家の猫も、いずれ作品に出演させ・・「AND KEY」と出したいから、早く帰ってきてくれー!!ですよ。ほんとに。



この猫を探しています!!

キー

新年ですね。

また今年は喪中につき、おめでとうのご挨拶は控えさせていただいておりますが・・・
本年もみなさまどうそよろしくお願いいたします。

さて新年第一号の記事に、こんな内容を書かなきゃいけないのが悲しいのですが・・
我が家の愛猫・キーを探してください!!!


今年はいよいよ40の大台に乗ってしまう自分ですが、年末から自分の身の回りは、いいことがまったくない、
まさに前厄な予感がする出来事が多発しています。
年末に自分のボロバイクは盗まれ、元旦から腹痛で大好きなお酒も飲めず病院へ。腹痛に悩まされるお正月を過ごし、予定していた小旅行も中止(キャンセル料は払いました・・)。




そしてなにより・・・3日前から、我が家の愛猫・キーが行方不明に・・

9年以上の月日を、家族同様にして過ごしてきた、大切な愛猫なんです。
その思いは以前、このブログにも記しております が・・もう、つらいす・・

だれか三鷹牟礼近辺で、この猫を見た方がいれば・・
少しでも誰かの目に触れる機会があれば・・と、このブログにも写真、UPしておきます。

名前:キー
性別:メス
年齢:10歳前後
特長:尻尾が鍵方
首輪:オレンジ色っぽい赤のチェック
性格:抱かれるのはいやがる
癖:毛布を見ると、毛先をおっぱい吸うように、チューチューする

きー2

きー3
キー2

キー



どなたか三鷹近辺にお住いの方がいらして、見かけた!という方がいらしたらご一報を!!
薄謝謹呈いたします。

しかし、ほんとにかわいいのですよキーは。早く帰ってきてね。
猫完たらふく食べさせてあげるから・・


「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」・・・うれしいお話④

自分の敬愛するクリント・イーストウッド監督の両作品です。
今話題の真っ只中ですが、無事に2本とも、連続して鑑賞できました!


「ミリオンダラー~」 でおもいっきりやられちまった監督の作品だけに、相当期待して観てきました。

で、結論。

こんな世界の、こんな時代に、このタイミングで、こんな素晴らしい「戦争映画」を作ってくれた、イーストウッドに、
自分は心から感謝したくなる、そんな映画でした。そして観て、つらい映画なはずなのに、気持ちは、こんな作品が見れたことで、たまらなくうれしくなる・・


そんな両作品でした。


星条旗
「父親たちの星条旗」


硫黄島
「硫黄島からの手紙」



作品の詳細に関しては、上映中ということもあり、あまり深くは語れない、または語りたくないのですが・・
でも、自分が見た戦争映画では、間違いなくベスト3には入ります。というより、本来、戦争映画が果たすべき社会的な機能を、
これだけ満たした映画はないのでは、とも思っています。

最初に。この「星条旗」の原作の映画化権を、最初に獲得したのは、スピルバーグ率いる、ドリームワークスです。そしてスピルバーグはプロデューサーとして、監督をイーストウッドに指名しました。イーストウッドは、「星条旗」の監督をするのを引き受けるのですが、その過程で、硫黄島で戦死した日本側の中尉の話にも興味をいだき、もう1本、日本側の物語も描くべきだと主張。結果、この2本の傑作が誕生したわけです。

しかし、この傑作が誕生までの過程には、たぶん、いろんな奇跡的な偶然が影響しているのでしょうね。

それは、まず単純にスピルバーグが、自分で映画を撮らず、イーストウッドに監督を任せたこと。
彼の戦争映画の代表作・「プライベートライアン」・・戦闘シーンの迫力は、さすがスピルバーグ、、ではありましたが、内容は・・ピンボケもいいところ。戦争の悲惨さを描く?単純に兵士をを英雄として描き、結果、アメリカの正義万歳!という映画でしたね、自分にとっては。というか、彼が監督する人間ドラマは、すべてにおいて、「ゆるい」。特に、戦争映画を撮影する際の「ゆるさ」は、「真摯」さに欠けてしまうのと同義で、自分は評価できない映画でした(そのゆるさは、手抜きとかじゃないよ。もって生まれた才能の「資質」の問題)。

対して今回のイーストウッドの両作品。


戦争の勝者と敗者、その両者の立場から、「公平に描くことだけを心がけた(イーストウッド談)」映画を作ったそうですが、そのイーストウッドの深い洞察。単純にその視点だけでも、僕らは拍手を送るべきものだと思うのです。また「公平に描く」ことは、言い換えれば、リアリズムに徹する、ということ。


ここで例に出すものくだらない、「男たちの大和」。 あの戦争の「被害者」としての、大和の乗組員だけを登場させ、どっかの見えない敵(アメリカ人)の姿はまったく描かず、ドンパチ、ドンパチ、玉砕精神と被害者根性のみで、戦争の「悲劇」を描いたあの映画。あの映画を、今の時代の「日本人」が描くことに、いったい何の意味があるのか・・・


この「硫黄島~」「~星条旗」を観た後だと、なおさら許せないレベルの映画だということがわかります。



結局、「戦争の悲劇」とは、それは文字通り、戦争を「悲しきお芝居」として描くことで。そこには、当然、よくも悪くも、「ドラマ」を、「英雄」を、描こうとする、作為的な行為、が主体となるわけですね。主体があれば、そこに「公平さ」を同居させるのは難しいもの。


対して、イーストウッドが作り上げたこの2作は、「悲劇」、といったヒロイズムを拒否する「公平さ」を保とうとする、力強い意思を感じます。


たぶん、自分が見た戦争映画は、好きな作品も、嫌いな作品も、どちら側の作品でも、このヒロイスムからは抜け出せてなかったのではないだろうか、と。そのヒロイスムを脱するには、本当に強い意志と冷静な洞察力が必要になるのです。



映画の中の台詞(「~星条旗」より、「戦争に英雄はいない」


それはこの映画のテーマともいえるもので・・・言い換えれば



戦争にただの被害者だった人もいない


同じく戦争に単なる加害者だった人もいない


戦争に絶対的な「悪」もない。同じく戦争に絶対的な「正義」もない。


そして戦争には、アメリカ人が戦争映画で好んで描く、「希望」もない。


そして同じく、日本人が好んで描くような、「悲劇」もない。



あるものは・・・・あえて一言で言えば・・


「空虚さ」


ではなかろうか。


希望も悲しみも、痛みも、喜びも、すべて「空虚さ」へと転換してしまう装置が、「戦争」だと。



イーストウッドが徹底したリアリズムで描いたのは、そこに尽きる、と自分は思っています。



とまぁ、うまくいえないまま、またもやあーだこーだ、書いてしまったけど・・・結局、この2作品は、徹底したリアリズムにより、観る人によって、いかようにも解釈できる作品となっているのでしょう。


だからこそ、この作品は、うさんくさい論議がはびこる日本人にも、イラク戦争後のアメリカ人にも、見るべき映画なのです。

観て、思い思いに、何かを感じるべき映画なのです。



で、この映画は、観るものにとって、「空虚」なものになるはずもない。そう断言できる作品なのです。

ぜひ!


PS:たぶん、今後も考えてていきたい映画なので、またどこかで加筆します。今回は、整理できないままま書きなぐりましたが、

とにかく、観てほしいなと思い、ここに雑文書いておきます。「教育基本法の改正 」なんかより、こうした映画を、観た方が、いいのは間違いなしなので。



※今回は久しぶりにいろんな方々のブログを拝見してまわり、共感できる方々にトラバをお願いしてきました。自分ひとりじゃ補足できないようなたくさんの意見を、参考にしていければな、と。改めてコメントを差し上げていきたなと思っております。

















うれしいお話③・・「そこに在る壁」霧笛舎 舞踏公演にて

さて、続けてうれしい話。



壁
The Wall---Mutekisha Dance Company
2006年12月16日(土)開演19:00
      12月17日(日)開演14:00/18:00

料金:前売2,000円/当日日2,300円
出演:イシバシヒデオ、井綱えり
川島栄作、大森彩子、岡本友紀
音響・照明:曽我 傑
舞台監督:大原猛司
産婆役:中嶋 夏
会場:テルプシコール

という、大学の後輩ダンサー・エリさんが出演する舞踏公演を観に行きました。

そして、公演終了後、なんだか、とても感動いたしました、というか、自分の中で腑に落ちたことがあり、それがたまらなくうれしかったので、それについて記します。



この霧笛舎は、土方巽、大野一雄に師事した、中島夏さんという方が主宰する舞踏団。

自分は直接公演を拝見したことはありません。


今回の公演は、その後輩エリさんはじめとする舞踏団の若手が主体となって開催したものです。


自分は以前、この中島夏さんと同じ土方巽直径で、舞踏団を組織されている和栗由紀夫さん(大橋氏の直接の師匠)という方の舞踏公演を何度か撮影したこともあり、少なからず舞踏について、多少の「知識」はあったつもりなのですが、ここしばらくは、こうした「舞踏」らしい舞踏公演とはご無沙汰でした。


最近ではその「舞踏」自体に、正直、強い興味もなくなっていたし、この日は、後輩がどれくらいがんばっているのかな、という感じでつきあい気分で観に行ったのがほんとのところでした。


でも、なんでしょうね。最後はほろり、と涙さえでちまいました。不思議です。



たぶん、公演の内容は、たぶん、それほど新しい試みに挑戦しているものではないと思う(失礼ですね・・)。


シンプルに、土方巽や大野一雄が、切り開いてきたものや、テーマの踏襲であったのではないか、と。



以下公演案内より。



壁に埋まった5つの身体が

おのおのの「窓」を探して

夏から秋への舞踏行です

(蝉も啼きます、カラスも舞います、蛾も飛びます、そして鈴虫も・・・)



公演の内容も、シンプルに言えば、その案内通り。


ステージ上の壁に、5つの仕切られたドアがあり、そこから生まれでた5つの身体が、蝉になり、カラスになり、蛾になり・・そしてそのたどり着く、先は・・?


そんな物語でしょうか。


蛾やカラス、鈴虫など、人ではない生き物を模した身体が、そのまま、人ではない、身体=肉・骨の動きをしていく様を描きながら、進行していく舞台です。


よく見慣れた(自分は、です)舞踏の作法に基づく、それらの動き。たぶん、そのベクトルは、大地。

地を這う、獣や虫。機械的なものから、身体性への回帰。そんなメッセージを含んだ、舞踏らしい舞踏。


それらの舞踏の動きは、人としての日常からすれば、すごく「不自然」な動き。

たぶん、舞踏を見たことのない人からすれば、かなり異様な光景と映るはずの、不気味な身体(そういえば「貞子」やらに代表されるホラー映画に、最近舞踏的な動きは、引用されちている気がしますね)。



ただこの日の自分は、それらありえないはずの不恰好なカタチが、「イキモノ」、として、すごく自然な動きであり、「営み」であると、舞台が進行していくにつれ、腑に落ちていったのです。


何を言っているかわからないと思う人も多いと思いますが、要するに、人は、「人」という独立したイキモノではないということ。あらゆるイキモノがいる中の、自然の中でしか存在しえない「イキモノ」の中の、一部である。そんな当たり前のことが、腑に落ちた、ということです。



たぶん、舞踏の鑑賞体験が何度もある自分が、いまさら、な、当たり前の感想を言っているな、というのも承知。


ただ、先に記した、遺伝子組み換え食物のお話 やらを考えていくうち、なんでこんなに「人」って、傲慢で不自然なイキモノなんだろう、とか漠然と感じていたわけで・・・


そういう気持ちが、見慣れた「舞踏」の動きに、新たな発見をさせてくれるたきっかけになったのは、本当に間違いない事実。蝉やカラス、鈴虫の動きを、人が模していく行為。それは、すごくシンプルに、人が「イキモノ」である、ことを逆説的に伝えてくれたのでした。


公演のラストシーン。エリさんが、他のイキモノから、少し「人」らしい動きへ。そして、ステージの床に、チョークで人型を描き、そこに静かに埋まり、眠る・・・


とても象徴的なラストシーンでした。



そして同時に思い出されたのが・・


今年9月に、井の頭公園の林の中で行われた、同じく土方巽の流れを汲む舞踏家・田中民さんの公演でのお話。仕事で少しだけお話したのですが、その際に、田中さんがぶっきっらぼうに発した、公演の意図に関する言葉・・・


「生まれたときから、アスファルトの上で暮らしていると、この世界が地面で出来てること忘れるでしょ?だから、こういう林の中で、公演やってんだよ」


その言葉も合わせて、舞踏という行為が意図する、根本的な部分。それを自分は、理解ではなく、「腑」に落ちた、と感じることができました(あくまで自分の感じたことですので、専門的なことは置いといて下さいね)。


それが、なんだか、うれしかった・・・そんな公演でした。ほんと、エリさん、どうもありがとうございます!

また、エリさんの身体、すごく「イキモノ」として綺麗でしたよ。惚れましたよ。うん。



あと、たぶん、今回の芝居が腑に落ちたのは、その前に「イキモノ」について、真剣に考えた瞬間があったから、だというのは間違いないです。で、いろいろと、世の中の現象に、馬鹿な頭で想いをめぐらすの決して無駄でななく、こうした芸術表現を感じとるためにも必要だったんだな、としみじみ。なんだか、いいな、こういうの。



PS:エリさん。あのラスト、実はチョークの人型は、、BITOのPVでやろうとしていたことと同じなのです。もしかしたら近い表現で、映像作るかもしれないので、そのときはご容赦を。というかこれは9月にはBITOに企画書渡してるので、自分の方が先に考えたんだぞ!(笑)という自負もあり・・うれしいながらも悔しい公演でしたよ。


うれしいお話②・・ミュージシャンBITOが、コンテストで入賞!!

以前このブログでも、簡単に紹介した ミュージシャン、BITO、「東京キャラクターズバトル」 という、新しいコンテストで見事、グランプリを獲得いたしました!


以前も記しましたが、歌唱力はもちろん、その作詞能力がすばらしいなと思っていたのですが、今回のコンテストでは、特に歌詞について高い評価を得たそうです。賞を獲得したのがうれしいのはもちろんですが、自分が感じていた部分と同じその作詞部分での評価がとてもうれしい。


BITOの詩は、ブルースと民謡ををごちゃまぜにしたような、独特の節回しの歌い方のせいか、一見ものすごくエネルギッシュで情緒的な印象を残すんだけど、そうした楽曲郡の中にも、何かを突き放しているような、対象と一歩距離を置いているような、独特の「静謐さ」があると個人的には感じています。


包み込むような、まとわりつくような、どちらかというと湿度や粘度の高いといえる歌声。

そこに重なる、「心象風景」を巧みに用いた、どちらかといえば乾いた詩の世界観。




以前も一部、詩を記した「レボリューション」。自分は大好きなんですが、この歌には特に、自分の好きなBITOの世界観がつまっているような気がしています。

受賞記念ということで、勝手に全文を掲載しちゃいます(こういうとこに詩をのっけるのは、著作権違反だの、プライバシーの侵害だとか言われるかもなんですが、いいと思ったものは、自分は素直に書いてしまいますよ、いいよね?BITOくん)


「レボリューション」


草むらに匂い立つ熱い炎

時が季節に愛想つかせても


打ちあがる花火は変わらず見事で

君を明日も呼び出したくなる


絵のように とまったまま笑うだろか

歌のように 悲しみはうずまくんだろうか



君の中でも


YOU FEEL


ネボケーション


YOU FEEL

レボリューション


やさしげに水面打つ、長い雨

時が季節に何を忘れても


もれ流れる寝息は 変わらず確かで

君を明日も 呼び出したくなるのさ


絵のように とまったまま笑うだろか

歌のように 悲しみはうずまくんだろうか



絵のように とまったまま笑う僕

歌のように 悲しみはうすまくんだろうか


君の中でも


YOU FEEL 

ネボケイション


YOU FEEL 

レボリューション


※歌詞、ヒアリングなので間違いあればご指摘くださいな。特に「ネボケーション」部分・・




詩だけでは伝わりにくいかもですが、素敵な歌です、ほんとに。


以前のgaou時代の、少々攻撃的な詩の世界とは、少しづつ変化してきているBITOの音楽ですが、

いい意味で、大人な表現をしてきているんでしょうね。


「草むらににおい立つ青い炎」

「やさしげに水面打つ長い雨」


こういうフレーズ、「心象風景」として、見事だと思います。またこういうフレーズがあるからこそ、情熱的なヴォーカルが、一歩距離を置いたところから響いてきて、結果、「レボリューション」という、想いに着地すろのではなかろうか・・



本人の飄々とした風情とあわせて、この歌を聴くと、染みます。


とにかく、今後の更なるご活躍を期待しております。

いずれPV、作らせてくださいねー!!



うれしい話が目白押しその①・・同僚の結婚式

ここ数日で、自分はなんだか気持ちの振り幅が大きい。下記に記した社会的な出来事の数々や、非常に個人的な人間関係のことなどで、怒ったり、悲しんだり、失望したり・・・


でも、そういう思い悩むことが多かった分、だからこそとてもうれしく感じることも、たくさん起きた。


先日は会社の同僚女子の結婚式でした。

彼女は、私よりひとまわり以上、年下の27歳ですが、自分の出会った女性の中でも、心からすばらしいと思える女性の一人。


自分の勤務する会社は、地元のケーブル局なのですが、小さいながらも様々な現象・事件を、「地域コミュニティ」に有益な、という考え方で、ニュースや特集番組を制作する会社。当然、その中で、何が社会性があるか、話題性があるのかといった要素をきっちり見極め、わかりやすく翻訳して番組つくりを行う必要があります。その点で、自分より経験も長いというのもあるけど、その若さで、様々な現象について、問題意識を持ち、調べ考え、取材し、また的確な表現が出来ること。その点では、明らかに現在の自分の上司と言える女性なのです。某映像系の専門学校卒業の方なんですが、その学校の先生に「10年に一人の逸材」と言わしめたのも納得の女性です。


ただ、それだけなら、もちろんほかにも能力の高い女性はいるでしょう。


彼女は、その才能を、なんだろう・・うまくいえないけど、素直に、誠実に、表現できる人。反論する意見も、人の目をまっすぐ見つめ、相手への誠意を持って主張してくる。ですから、その意見の的確性ももちろんですが、その誠意ある意見に対し、意見された自分も、ほんとに誠意をもって応えなきゃいけない、と思わせてくれるのです。それって、当たり前のことかもしれないけど、その当たり前のことが出来ない人間って多いし、やろうともしない人間が多い、と思います(自分はたぶんに意見の違いを、熱く語りすぎるところがあり、彼女のその人とのコミュニケーション能力に、学ぶことが多いのですが・・ほんとにそれにより傷つけてしまうことも多いのです・・猛省しています・・)。大げさにいえば、日本の外交にも必要なことなのですよ、これは。


あ、彼女はその上、明るく愛嬌もあって、かわいらしい方ですよ。色気はないすけど(笑)。「女性」でなく「娘性」が高い方です。なのに、しっかりと「自立」してる。「娘性」と「自立性」って、矛盾すること多いけどね(この辺の話もいずれまた)。


おまけにほんとうに小さなことですが、彼女の行動に感動した出来事をひとつ。


吉祥寺駅前。入社したての自分が、彼女の取材に同行した帰り道。夕方。ベンチに座り込み、下を向き、動かない若者が一人。単なる酔っ払いだろうな、と自分は思う。もちろんちらちらその姿を見てる通行人の多くは、そのまま素通り。


でも彼女はその光景を見た瞬間・・


「あれ?あの人大丈夫かな?ちょっと声をかけてみてきますね!」


取材帰りで疲れているはずなのに、ほんとに即座に、何の迷いもなく、その若者に声をかけに走りました。

この行為も当たり前のことかもしれません。でも、どれだけの人が、そのよく見かけるその光景だけで、行動を起こせるでしょうか?


たぶん、こんな時代に、彼女のような人が増えれば、世界は平和になるはず!と声を大にして、断言できる人物。大げさかもしれませんが、彼女を知る人物なら、絶対納得できるはずです。それは結婚式で、同僚・友人の心からの、祝福がそれを物語っていた。そんな結婚式でした。自分もやっぱり泣いてしまいましたよ。ほんとうに、お幸せに!!また今後もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!



あー、すげー長くなっちまったんで、次の記事にうれしい話、続きます・・




忌野清志郎の「君が代」


タイマーズ


下記記事にちなみ、見つけたー!!うれしいぞ


YOU TUBEです。ぜひ聞いて、気分を盛り上げてください。


「不謹慎」「非国民」となじる方は、どうぞご自由に、ですね。はい。




「君が代」

http://www.youtube.com/watch?v=q1hNnPoX_Jg



ついでに上記名曲を放送禁止にした「FM東京おま○こ野郎」もUP!楽しいねぇ・・痛快だねぇ・・

http://www.youtube.com/watch?v=_UzDgbCWbfk&mode=related&search =



教育基本法改正ですね・・・

昨日終了間際に、あわてて観に行った、今や本気で敬愛する監督の一人、クリントイーストウッド監督の「父親たちの星条旗」について。

9月頭に見て、久しぶりに心揺さぶられた邦画、西川美和監督「ゆれる」。

さすが巨匠、えぐい表現、下品な表現多いのに、なぜこうも格調高い作品になるのか、ペドロ・アルモドバル監督「バッド・エデュケーション」。

ついでにやりすぎではずしていた北野武「TAKESHIS」。


そうした最近見た映画の感想を、まとめて書いていこうかな、と思っていたらば、ついにいつもの強行・拙速採決「教育基本法改正」・・・


だめです。不愉快極まりないです。


「タウンミーティング」で、これだけ国民を欺いた政権が、国体を支える「教育」について、単独で採決を採るか、普通。

「郵政造反組」を、いともあっさり政権維持のために、ポリシーなく受け入れる政権が、教育に関してどういうポリシーを持つ?

「美しい国」・・?誰がこの政権に本気で期待するのでしょうか・・・



真剣にこの国のことを憂う若者が、この政権が押し付けてくる「国を愛する心」やこの国のあり方に、疑問や反感をもったとして、それを発露することは、今後の教育の現場では、有形・無形の形で、封じ込められていくのでしょう・・・心配しすぎでしょうか?


しかしながら、たかが国旗や国歌の問題で、有形でなかったはずのものが、教員・校長の解雇、当事者の自殺を生む、といった重苦しい「制度」と成り果てた事実をかんがみて、みなさん、近い「未来」を「想像」することは可能でしょう。


ついでにいっておきたいのは、飲酒運転の共犯として、一緒に飲んだ連中はもちろん、飲食店関係者まで罪を問われてしまうこと。

 

新しいコンピューターソフト「WINNY」の開発者が、著作権侵害の首謀者?として罪を問われること。

 

これら一連の動きは、「共謀罪」とかなりの範囲でリンクしているのが、また非常に気持ち悪い。


さらに、自分がこうして書いているブログ。そして特にコミュニティ・マイミクといった認証制のシステムを設けている「ミクシー」。

「共謀罪」を問うには、格好のシステムであることは、意識すべきことかもしれませんね。


とにかく、来年の衆院選。忘れることは時に大切なことですが、この時期に連中が、「教育」にふさわしくないことをやったことを、忘れないでいたいものです。先のイラク戦争で、何万人ものイラク人を殺してしまった小泉政権(間接的に、ではない、と自分は思う)を、いともあっさり忘れてしまった私たち。もう、やですよ、ほんと。



PS:最近ミクシー、やっていますが、そこでの友人たちにも、こういう見逃せないことを、語り合えたらなと本気で思っています。  みな各人それぞれに、思うことはあると思います。会社内で政治的・社会的な話をするのはなかなか難しいと思いますが、こういう自由な場所で、自由に発言していくのは、決して無意味でも、無駄な作業でもないはず。確かに、その主張が互いに食い違いがある場合、友人関係に多少のほころびが出る可能性もOではないでしょう。でも、そういうことをきがねなく自由に語り合えるのが、恥ずかしげもなくいうと「友人」なんでしょう。だからこそ、何をどう考えているのかを、知りあいたいなと、思っています・・


こんなことばかり言っているから自分は会社の上司に「おかぽん君は、遅れてきた青年みたいだねぇ」と言われちゃうんでしょうね。



ふぅ。多少の自己嫌悪もこめて。


柄にもなく「食の安全」について考えてみたりする・・




ブログ仲間、pkkumyyさんのお誘いを受け、12月2日に下北沢タウンホールに下記イベントを拝見してきました。


「食の未来」


食の未来



食の未来 ―決めるのはあなた』

2006.10.8

 最近映画界では、『華氏911』(04年、アメリカ)や『ザ・コーポレーション』(04年、カナダ)など、社会問題を扱ったいわゆる「お勉強ド キュメンタリー」が人気だ。遺伝子組み換え作物など、最新の食糧問題を扱った『食の未来 ―決めるのはあなた』も、まさにその流れに属する作品。米国では2004年に単館系で公開され、世界最大の映画サイトIMDBの読者投票で、10点満点中 8点平均(M・ムーアの『華氏911』よりも高い)を記録するなど、高い評価を得た。

 内容は、遺伝子組み換え作物の安全性の問題点から始まり、大企業による小規模農家への搾取構造までも暴く。反撃の力を一切残さないその徹底ぶり は、まるで新手の奴隷制度だ。彼ら大企業が、世界中の在来品種を自社の種子に置き換えさせる傲慢さは、いまや地球の遺伝子資源を絶滅に追いやりつつある。 食糧問題とは言うが、これを見ると、なんだかエイリアンによる地球侵略のように思えてくる。

 本作は、そうした企業の横暴を実名で追及する大胆さも併せ持つ。情報のクオリティは高く、関連書籍を数冊読むくらい密度も濃いから、すぐに巻き戻せるDVD鑑賞に向いているかもしれない。

 百聞は一見にしかずという通り、映像ならではの新発見も多い。たとえば、大規模集積型農業によって品種の多様化が失われている問題などは、本で読んでもなかなかピンとこないが、実際に映像で世界各地の様々な色、形のコーンを見れば一発でわかる。

 そうした「マイナーコーン」を何十年も作りつづけているメキシコのある小さな農家を、カリフォルニア大の高名な研究者が尋ねる場面がある。農民は 日焼けした顔で「アメリカの大企業が安く種子を売ってくれる品種より美味いから、昔ながらのコレを作ってるんだけど、あんまり儲からないよ」と笑う。朴訥 とした、いかにも人の良い田舎のおじさんといったこの農民に対し、教授は「あなたがここでやっている事は、世界を救う事だ」と語りかける。在来品種の多く が失われてしまった現在、このおじさんのような昔気質の生産者こそが最後の希望だとわかる、感動的な場面だ。

 『食の未来 ―決めるのはあなた』日本語版は、この優れたドキュメンタリーを、字幕ではなくフル日本語吹き替え版で製作した意欲作。吹き替え版は字幕版と比べ、作るの に手間がかかるが、情報量は限りなくオリジナルに近い。貴重なこの未来へのメッセージを、なるべく多くの人に見てほしいと、私は強く願っている。



遺伝子組み換え食品の危険性の告発。ならびに、遺伝子組み換え農作物および、その種子をもって、世界中の国々の根幹を成す農業市場を独占しようとする、グローバル企業の偽善を暴いた映画、を鑑賞してきました。


正直、タバコはプカプカ吸うわ、仕事柄コンビニ飯の多い自分なんかが「食」に関して偉そうなことを語る資格がないのは重々承知。ただ、知ってしまったら、それは放置しておいていい問題では、間違いなく、ない。そういう次元のお話の映画でした。


遺伝子組み換え作物の安全性については、詳しいことはわかりませんが、安全性うんぬんの検査が十分でないのは、単純にその誕生した歴史の浅さからして、推し量ることは可能でしょう。


問題なのは原子力産業の構造と同じ、遺伝子組み換え作物を開発しちまった企業とその利益保護のため、安全性が確保されぬまま、市場に流通させてしまっていること。



その遺伝子組み換え食品のパイオニアにして最大手のグローバル企業が、カナダを拠点とし、アメリカの農業政策を決定付ける機関に、数多くの「会社関係者」を送り込んでいるという、「モン○ン○」さん。日本にももちろん、さりげなく進出しております・・・http://www.monsanto.co.jp/



さて、この企業の開発した、「ラウンドアップレディ」と呼ばれる大豆やとうもろこしの種子。それは遺伝子組み換えにより、自社製造の農薬「ラウンドアップ」に耐性がある作物。このラウンドアップという農薬は強力で、多くの作物を荒らす害虫さんはもちろん、あらゆる種類の雑草ををこてんぱにやっつけてしまうという優れたものだそう。そういう強力な「毒」に対する、耐性のある遺伝子組み換え種子が、「ラウンドアップレディー」だそうです。簡単にいっちゃえば、自社制作の農薬とセット?でそれに対応する種子も販売してぼろもうけしましょう、というものですね。事実アメリカ・カナダでのこのラウンドアップレディーで作られた種子と、農薬はセットで相当なシェアがあるそうですね。もちろん、その強烈な農薬を散布された食物の安全性は、ばっちり保障されているそうですが・・・


ま、食に強い関心のあるアメリカ人およびカナダ人が、それを食べるのは、それこそ選択の自由で、よしとしましょう。ただし、アメリカの多くの場所では、「遺伝子組み換え食物使用」といった表示義務は、ないそうですが(・・たぶん。すみません調べきれてません)。


さらにこの企業は「ターミネーター種子」なる「自殺する種子」なるものも開発しております。


参考HPhttp://www.gaia21.net/org/rafi/terminator-j.html


ようするに種子を生むことのない作物、です。なぜそんなものが必要なのか、というと・・それは、太古から行われてきた農業の営み、今年収穫した作物が生み出す新たな種子で、翌年、また新しい作物を生産していくという、当たり前の循環・・・を消失させようという試みなんですね。それが何を生み出すかといえば、毎年毎年、農家が購入せざるおえない「ターミネーター種子」、それによりその「企業の利益」のみだけなんですね・・・


生命の多様性。予期せぬ新たな自然勾配により、多種多様に分化していった植物の系統。その多様性は、当たり前ですが、「生命の力強さ」であり、進化の必然なわけです。


その進化の可能性を、一企業の利益のために、ゼロに近づけえようとしているのが、某グローバル企業なわけです。


某企業が、数千もの「中小規模農家」に送りつけた告訴状の一部

http://www2.odn.ne.jp/cdu37690/monsantokyouhakujyou2.htm


ある農家が、某企業の特許侵害の名のもとに、起こされた損害賠償請求だそうです。



要するに、どこからか自然飛散したのか、はたまた意図的に散布されものだかわかりませんが、ある農家の農地に「生えてしまっていた」企業特許の作物に対し、多くの自営農家が、損害賠償を起こされ、自分とこで長年蓄えた財産である「種子」や「作物」を、ぶんどろうとしているのが上記告訴状です。


遺伝子組み換え作物が、今なおアメリカ・カナダで続々と「特許申請」され、認可されています。そして某国は、世界中、アジアや南米でも、某国と同じ内容の、生命特許に関する国際基準を設けようとしています(生命=食物に特許を与えることの危険性は、世界中の有識者が指摘していますが・・・)。その結果起こることは、世界中の農作物が、特許侵害をお題目に、某国・某企業の支配下に置かれてしまうかも・・ということですね。


一企業による食物のモノカルチャー 支配。たとえば、その単一作物が、ある伝染病にかかったとすれば、そのときに、その国の食糧事情は壊滅的な打撃を受けてしまいますね。かわって多様な作物を栽培していた際には、ある品種が伝染病に感染したとしても、他の作物でまかなうことは可能です。そういう多様性を持った食料政策を、各国政府は行うべきなのは明白ですよね。

それに関して、特に発展途上国の多くが、モノカルチャー(単一生産物に依存する経済)に頼っている現状は、植民地支配の産物であることも明白。さらに先進国によるモノカルチャー支配が、数多くの発展途上国の貧困・飢餓の大きな要因である・・そういいきることも可能なのでしょう。ちなみに遺伝子組み換えが、世界の飢餓を救う・・そういうお題目を、某企業も唱えていますが、上記告訴状を見れば、何をねらっているのか、これも明白ですね。


日本もそうした、某国・某企業による、農業植民地となるのをよしとするのでしょうか・・・?

安全確認された遺伝子組み換え食品(厚生労働省発表)
http://www.mhlw.go.jp/topics/idenshi/dl/list.pdf

某企業の「商品」、すごい数ですね・・

ついでに、先ほどから紹介しています某企業の成り立ち をウイキより。

食べ物よりも、科学薬品を生産するのがお得意な企業のようですね。まぁ、ウイキ以外にも腐るほど、この企業のプロフは出てくるので、みなさまお調べください。


とにかく、あまり知られていない遺伝子組み換え食品に関する知識のお勉強には、かなり有効だった、「食の未来」というドキュメント映画。当たり前ですが、「食」わなきゃ、生きれない僕たちですから。無関心よりは、知っておくべきこと、と思います。

機会があれば、みなさまもご覧ください。単純にマイケルムーア とかアトミックカフェ とかお好きであれば、エンターテイメントとしても十分面白い作品ですよ。

また、あの懐かしの「チェルノブイリ問題」なみに、「危険な話」を知ることができますので。


遺伝子組み換え問題参考HP
①遺伝子組み換え食品はいらない
②遺伝子組み換え情報室